今年秋、ノルウェー最高の靴のセレクトショップ、Skomaker Dagestadで、ミヤギコウギョウの取り扱いが始まりました。
日本国内における宮城興業の靴ファクトリーとしての実力は間違いなくトップです。国産品のブランドは数多くありますが、グッドイヤーの最高品質ファクトリーは限られます。お値段としてミヤギコウギョウより高価な国産靴はありますが、それらの多くは企画ブランドであり、宮城興業のようなトップクォリティーファクトリーで作られています。
出し縫い(底材と上革をつなぐウェルトというパーツ上を縫われた糸)の細かなピッチと正確無比なところは世界最高と言われる既製靴ブランドと比肩します。木型を自社で自ら製作できることや、それにより既製靴というよりも誂え靴(手で木型を削って作ります)に近いフォルムを獲得しています。底材(地面に触れる底)と中底(足に触れる底)の間に挿入されるコルクが固形の物ではなく練ったコルクというのも誂え靴と同じです。
そもそも、私どもが2008年に注目したのは、宮城興業の会社としての姿勢でした。その展示会では、各メーカーの一覧表が配られ、そこにミニマム足数という数字が羅列されていました。サンプルから素材を変更するには最低10足のオーダーからです、とか、デザインを変更するには30足以上、木型から作ると200足以上注文しないとダメだとか。その中で、宮城興業の蘭にはすべて『1足』となっていました。こんな数字を一覧表に載せる会社は、ただのバカかとんでもない意気込みを持った会社かどちらかです。宮城興業が後者だったことは言うまでもありません。
その翌月、初めて山形を訪れたときに一番感銘を受けたことは宮城興業の高橋社長が、経営が厳しくなってから若手の職人採用に積極的になったとお話しになったことです。そのロングタームで決断をする姿勢に感銘を受けました。通常、地方の工場には地元の方、特にご年配の方が多く働いてらっしゃいます。皆、靴が好きなわけではない方ばかりです。ところがここはイギリスで靴作りを学んだ方や、靴が好きで東京から移住してきた方々、特に20代から30代の若い方がたくさんいらっしゃいました。皆、夜、仕事が終わっても家には帰らずに、仕事は関係のない自分の好きな靴を作ることに没頭していました。社長はそういう方々が将来独立して、宮城興業への注文を取ってくれるはずとおっしゃってました。もしかしたら自分の代では敵わないかもしれないような先の未来を思い描いて宮城興業を経営されていらっしゃいます。
まず、宮城興業に申し上げたのは、高価になったとしてもつくりに一切の妥協をせずに最高のものをつくりましょうと。(メーカーはいつも価格との葛藤で不本意にも、手間の掛かるところ、特に外から見えないところで様々なコストカットをしているのです。)その上でどんな靴を作るか話し合うにあたって、1つの美意識の共有をしました。それは1930年代にアメリカで作られたフォーマルな既製靴です。実際にその靴をお互いに見ながら美しいところを5時間かけて共有しました。あとは宮城興業の担当者が木型を削り、2つの靴のデザインをしました。それだけです。その後も2社で共に考えながらラインナップを増やしていきました。
ワールドフットウェアギャラリーは1979年の創業以来、欧米の靴先進国文化を靴とともに輸入して国内に紹介してきました。その任務は今後も継続してまいりますが、この40年の靴インポーターたちの尽力とインターネットの普及のおかげで、随分その文化が浸透してきました。そしてこの40年を反対側から見てみると、日本の靴産業の衰退の歴史でもありました。大部分のメーカーが倒産し、現在残るひと握りのメーカーも大変厳しい状況を毎日生きてきました。
これは日本にとって忌々しき事態です。靴はライフラインですから、国難といっても過言ではないと思っています。そこでこの先に私どもが社会に貢献できることを考えたときに、日本靴産業の発展という命題が嫌がおうにも首をもたげます。まずは日本国内に国産靴のすばらしさを喧伝し、どうせ日本に生まれて育ったなら日本の靴を履こうという啓蒙活動を行ってきました。
その先に、日本靴産業の発展には欠かせない輸出があります。人口減少から内需では縮小してしまう産業にとって輸出は唯一の突破口です。ただ、中国やブラジル、ベトナムなどに価格では競争できませんので、クォリティと神話で勝負する道しかありません。
ヨーロッパでも成熟した先進国として知られるノルウェーで、日本の神話を理解し、クォリティーを理解する方々が、今日もミヤギコウギョウの靴を求めて来店していると聞きます。少しずつですが、夢のある未来が開き始めているように思うこの年の瀬です。
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